シンポジウム スポーツとまちづくり

日本サッカー協会の川淵三郎会長らを招き、「スポーツとまちづくり」をテーマにスポーツによる地域づくりの可能性を探ります。

◇12月6日(金)午後6時30分開演
◇仙台国際センター「橘」(仙台市青葉区青葉山)
◇講師
▽基調講演 川淵三郎氏
▽パネリスト
清水市サッカーのまち推進室長綾部美知枝氏
ベガルタ仙台・市民後援会副会長泉田和雄氏
東北大学大学院教授(スポーツ社会学)中島信博氏
仙台大学助教授(スポーツコーチ学)勝田隆氏
▽コーディネーター 河北新報社代表取締役専務一力雅彦氏
▽総合司会 日本テレビアナウンス学院院長 石川牧子氏
◇定員  300人
主催/河北新報社、ベガルタ仙台ホームタウン協議会、仙台大学 後援/仙台市、仙台市教育委員会、東北ハンドレッド 特別協賛/東北電力

スポーツ新世紀・スポーツとまちづくり

仙台国際センター・2002/12/6 18:30 -

仙台大学学長 挨拶

「サッカーと地域」川淵・日本サッカー協会キャプテン

ベガルタ仙台の町だけあってたくさん来てくれた。
W杯始まる前、7回戦。4勝3敗で行きたいといっていた。大体2勝もすれば御の字。W杯があったために、チームがおかしくなってしまった。
勝ち進んでいくごとにチーム力がついていった。
川淵さんの予想は、札幌と仙台が落ちるだろうと思っていたが、見事に予想を外してくれた。
大分からあがってくれたので、J1のチームがあがり、東北から九州までJ1のチームができた。大分の最初は3人だったが、現在は2万人くらい。新潟は4万2200人入った。こういうファンが詰めかけてきたおかげで、
2万人が詰めかけてきてくれている。新潟では4割が新潟以外から来ている。ベガルタのサポーターも仙台市以外から来てくれているのではないか。トータルでは10万人程度の人が支えてくれているに違いない。今度は優勝してもらいたい。ちょっと不便だけど、宮城スタジアムに行って優勝してもらいたい。
W杯で最も有名だったのは、中津江村。カメルーンがやってきた中津江村村長奮戦記というのを読んだ。Jリーグの原点はここにあったと編集の人が書いた。人口1360人の村だった。65歳以上の人が4割。スポーツセンターをリニューアルしなければいけない、というので、リニューアルした。とりあえず看板が欲しい、というので、キャンプ地に立候補した。いざ工事が始まったら、本当にキャンプ地になりたいと村民が思った。サッカーのサの字も知らない人が看板が欲しいと言うことで動き出そう、と活動がはじまった。いろんな人がボランティアで行動した。村民がみんな村に花を作ってプレゼントしたいといって、大分市まで行って募金活動をやった。カメルーンが決めた理由も訳わからない。彼らも決まるとは思ってはいなかったが、招致にかかったお金は30万円。村長の交通費とカメルーンが来たときの食事代。会場の整備で3000万円以上はかかったが、それは整備だった。カメルーンが来なかった。日本中が注目した。4日間遅れてカメルーンに着いた。夜中の12時に福岡の1000人が出迎えた。午前3時についたときには100名以上の人が迎えた。別の言い方をすれば、世界の人は日本を知らない。W杯を通じていろんな情報が世界に発信した。中津江村が日本に発信されたことと、日本が世界に発信されたと同じことであろう。中津江村にとって、カメルーンはおらがチームになってしまった。日本よりはカメルーンを応援していた。こんなことは世界においてありえないことだ。世界中に優しさ、笑顔、知的レベルの高さなどが発信された。4年後まで生きて、みんなでカメルーンを応援をしに、ドイツへ行こう。W杯がなければこういうことはゼロであった。600円のカメルーン弁当1日100食、とかある。中津江村のそばに人口何万という町がある。中津江村のそばですか、と言われる。仙台は日本中で有名だが。
Jリーグもつぶれかけたチームはうまくいった。仙台でもそうだ。仙台も危なかった。そのときに、県、市がバックアップした。練習場が雪で練習できないから、ミニスカートの女の人も雪かきした。市民の人にサポートしてもらうためにはそれだけではだめ。サッカー以外のスポーツが楽しめることを提供する。指導者を提供する。そういうことを経て、ベガルタ仙台はサポートしてくれるようになる。ベガルタはそういうことを結構やっている。
バンフォーレ甲府、去年一昨年にほとんどつぶれかかった。チェアマンが甲府に行った。是非継続させてくれ、とバンフォーレ甲府しか誇れるものがない、と県、市が言った。市民がバックアップしはじめた。あるクリーニング屋さんがユニフォームを全部洗う。車、ホテル、レストランが選手のためにサポートが始まった。こんなのならボクもできる、というのがサポート。お金をクラブにあげているわけではないが、サポートしている。この2年黒字になっている。多くの市民がこのクラブを盛り上げることによって力がついてくる。コンサドーレ札幌も同じ。鳥栖、水戸なども、思い切って方向が変わっていった。地域のみなさんに支えてもらってJリーグがある。
今の子供たちは相当発達が遅れている。幼稚園児の足の指に黒く塗って、ちゃんと10本つくかどうか調べてみると、昔は大丈夫だったが、今は4〜5本しかつかない。発達しなくなっている。1万5〜6千歩を歩いていたが、3割も落ちてしまった。身体能力が劣る子がいっぱいでてきた。21世紀こそ、本当にスポーツが大事な時代と思う。今の子供たちはテレビゲームで家で遊ぶ。外で遊べ、といっても遊ばない。緑豊かな芝生のグランドがあれば、絶対に外へ出てくる。東京の杉並で校庭に芝のある小学校ができた。芝生ができる前はでてこなかったが、芝生ができたら、走り回る。運動能力があるなしに関わらず、走り回るとか、する。いつもは車椅子で歩く子がいた。芝生のグランドができて初めて足で歩くようになった。子供たちにとって緑の芝生はなくてはならないものだ。小学校に緑の校庭を、が始まった。芝生のグランドは子供たちの心をいやし、大人の心をいやす。砂埃に対しても価値がある。空気中の余分なものをとる。酸素をつくる。温度をさげる。メンテナンスには慣れていないけど、いったんできたら、誰でもほしくなる。京都の嵯峨野小学校にもつくってもらった。3つのグランドがあって、1つに芝生のグランドにしたら、子供たちは芝生のグランドばっかり行くようになった。Jリーグの100年構想3つある。2つめがJリーグの命。豊かなスポーツ文化の振興と国民の心身の健全な発達への寄与、これがJリーグの命だ。そこにいけば、だれでも、スポーツを楽しめる施設、指導者がいる施設、そういうものをつくっていく、というのが、大元である。ベガルタ仙台の施設にいって楽しめるという状況にはなっていない。ベガルタ仙台の財源が豊かになれば、そういう施設を作ることができる。そういうことを目指して活動している。100万都市でひとつあればいい、というわけではない。新潟はバスケットボールのチームを持っている。湘南ベルマーレはビーチバレーの選手2人をやとって、オリンピックでかった。まだまだ、他のスポーツの交流は少ないがベガルタ仙台を中心にいろんなスポーツクラブができる。その中で優秀なサッカーの選手はベガルタ仙台で鍛えていく。そうなって初めてヨーロッパなみのクラブになる。少なくとも、もう3〜40年のうちに、そういう状態ができていくにちがいない。
Jリーグでは、5〜6歳からスポーツを楽しもう。そこからスポーツエリートを作っていこう、と意味。ベガルタ仙台がどんどん育っていかないとだめだ。良い選手をどう作り出すか、が大切。1000人いてもJリーガーは2,3人程度だ。人間的に立派になったというような教育が必要。そういうエリート教育が必要。うちの子供を是非あのクラブに入れたいと思うようになる、そんな試みを今年から始めたい。タイガーウッズ、ごとうみどり。ある英才教育はある年代ではじめないといけない。我々が世界においつくためには、小さい子供からエリート教育をしていかないといけない。スポーツを通したまちづくりから始める必要がある。サッカー会は今の教育制度を変えてやろう、というくらいにやっている。ケーススタディを検証した上で、やる気のある県に経済的な支援をしていきたいと思う。
いろんな活動を通して町を活性化させる。子供たちに夢を与えるような町づくりが必要だ。

「スポーツと私」 石川牧子

いろんな実況をおこなった。アナウンサーというのは人の原稿を読むのではない。ほとんどが自分で取材して自分の足で稼いでいろんなことを伝える。スポーツというのは人に感動を与える。まず、あこがれをもつことだ。世界の一流選手はマスコミを大切にする。自分のことをちゃんと伝えて欲しい。情報というのは大切。子供を大切にする。どんな一流選手もかならず子供の時代を通過している。自分の過去を振り返っても、子供にとって一流選手に接することが最も大切。子供の目標になる、財産になる。どんなに大変なときも子供からサインをねだられても絶対に断らない。一流選手に近づこうとする。選手が入場するときに子供たちが一緒に入場する。手のぬくもりを感じて入場する。カールルイスとすれ違いで話をした。5つの話をした。1:世界のナンバーワンになるためにはナンバーワンになろうという心をもつ(夢にでるまであこがれ)、2:ナンバーワンになりたいのなら現在のナンバーワンと一緒に練習する。3:自分がいかにふがいないか認識せよ。4:劣っている自分の練習は頭で考えたことをやること、5:それをやり通すこと。目標を掲げること、これが大切だ。

パネルディスカッション 「スポーツが地域を変える」

一力
たくさんの勇気と元気を貰った。スポーツにより親しむためにはどうしたらいいのか、というきっかけをつかんで欲しい。 3つの柱。スポーツとの関わり方(スポーツ文化論)。スポーツと人(人づくり;指導者、支える人)、環境整備(スポーツ施設の充実、活用方法、組織論)。 最後に新しい時代のスポーツと地域をどう表現するか。 最初は、スポーツとは何か。どういう関わりがあるのか。
綾部
32年前、雪の降るとき塩釜に来た。来期から大木毅、風間八広が2年のとき。仙台と清水、という地域と地域という交流ができた、ということがあった。スポーツは仲間を作る。一つの目的に向かって一緒になれる。する、みる、ささえる、という言葉にくわえて、あわせる、というのがキーワードになる。誰にでも平等。清水市の小学校にはナイターが100%ついている。お父さんがお金を出してつくった施設を清水市に寄附した。行政は住民の考えを受け止めて86.5%の中学校にナイター設備がついている。明るく健康な子供にするために、ナイター施設でもあるし、町のコミュニケーションの中心になる。
勝田
授業でこの話をしてきた。競技スポーツをしてきた。スポーツとは何か、と語らないといけないとき、日本に根付いていないと思う。カルチャー。人の心を耕すものだ。スポーツは知的生活文化である、と言いたい。サッカーのGKはDFにさかんに語りかけている。絶えず考えながら指示をしている。情報を頭の中でかけあわせてやっている。野球で、監督のいった通りやりました、ってのは、いいのかな。10を知って100をやる、というような、知的生活文化である。スポーツはリアルタイムのアウトプットを作っている。スポーツで最も大切なのは、冒険する、ってことだと思う。
泉田
メンバーの中で異質かなと思っている。ベガルタ仙台の後援会の生い立ち。98年にこういった企画がもたれた。スポーツとまちづくり、という企画があった。サッカー=ブランメル。報告書になかでキーワード3。財政のたてなおし、泉区をなんとか変えていけないか、スポーツボランティア。ブランメル仙台でビブスが配れないか、ということを思いついた。98年にできた。配布をして企画が終わったね、と思った。何とかチームを支えないか、と思った。仕事をもった人が、ベガルタ市民後援会。後援会は能動的なもので、自分たちが動かないとだれも動かない。何かできないか、というボランティア精神がスポーツだった。つながる、というのがキーワード。
中島
研究者という立場。70年代にスポーツ社会学を始めた。地域ということを考えた。スポーツに対する関心も全く違った。地域、生活、文化がキーワードがでてくる。そんなに昔ではないだろう。それらの重要性はJリーグが見せてくれた。サッカーの世界ですばらしいリーダーがいる。川淵さんがすばらしいと思う時代になってきている。古くて新しいこれらの言葉がある。かつては体力を作る、健康増進とか目指していた。地域をキーワードにする意味。それを自分のテーマにしている。1000人のうち、998人にとってのスポーツという意味を考えている。
一力
スポーツを通してのまちづくり。スポーツの多様性、多面性を考える。人造りが必要。
勝田
指導するときのもの。冒険するというキーワードを出した。競技スポーツにたずさわってきた。人づくり。大リーグのコーチが言っていた。4割打者、完全試合はない、など、野球は一試合はほとんどミスだらけで、失敗を楽しむスポーツだ。フランスのコーチは攻められるときに攻めないとダメ。どんどん冒険して、チャレンジして、というのが最も大事だ。失敗を恐れない。スタンフォード大学では企業家を育てるときに、失敗を恐れない、というのが重要。次から冒険しなかったら、ダメになる。スポーツの中で冒険を忘れない人をつくる。
一力
支える人のネットワークづくり。
泉田
ベガルタのボランティアをやっている。年4試合程度やっている。ベガルタボランティアネットワーク。W杯キックラブにも参加している。キックラブ・アクティブという名前を変えて活動している。スタジアムの中がスタートだった。後援会の目的は2万人だった。それはスタジアムの中の話。来てくれた人に気持ちよく帰って欲しい、とスタジアムの外にいった。W杯期間中はサッカーパークに手伝っていた。多くの方の人と出会うことができた。つながる、というキーワード。今のボランティアの活動を通じて、新潟に行って来た。最終戦は14,000人で満員だった。同じ共通の経験をしている人と、つなげている。つながることによって、前に進む。良い仲間がいる。
一力
スポーツの接点
中島
ボランティアというのに注目している。単にイベントに参加するだけではなく、新しい日本の中でスポーツの仕組みを作っていくようなボランティアが出てきてくれないかな、と思う。川淵さんみたいなボランティアが出てきて欲しい。それぞれの地域で出てきて欲しい。その意味で、ベガルタがスポーツにおけるボランティアづくり。その次にできくるのは、スポーツボラ。
一力
清水市の状況
綾部
サッカーのまち推進室という肩書き。町づくり。ぶどうの房をひっぱたら、最初にサッカーが出てきた。次には何が出てくるか。清水が狙っているのはサッカーを最初にやって、それから産業などに結びついて欲しい。リーダーが必要。どんな子供になって欲しいかを考えよう。強い子供を作ろう。最後まであきらめない。目的意識をはっきりさせたい。サッカーを早くやりたいから掃除をする。サッカーをやりたいから勉強をするんだ。勉強を一生懸命がんばってサッカーをやりたい。スポーツ指導者養成大学をつくった。子供たちと指導者を育てるときに奮闘しているのはお父さんだった。彼らはボランティアというよりもサポーターだった。一人の子供の父親が大勢の子供の父親になった。そしてその父親がサッカーをやるようになった。o60のリーグ戦。自分たちがサッカーを楽しむようになった。ママさんサッカーも始まった。家族で、地域でサッカーが始まった。ファミリースポーツが地域と地域を結んでいった。子供を育てるという願いは、大人になったときに良い町を作るだろうと思った。270万羽の鶴の折り鶴が舞い降りた。折り鶴に対して大人がなにをすべきか。大人の声がけが必要。だれでも声をかける。そういう声をかける町の中で住んでいると子供たちが悪いことはしない。試合に負けたときに声がけしていく。元気なお母さんは家庭は明るいと思う。
一力
施設についてどうか。今の話の延長線。ソフトウェアを含めて。
泉田
元々ベガルタありきで活動していた。泉でどうやっていくか。芝生のグランド、という話があった。子供が出てしまうと学校に足を運ぶことはなくなる。そういうところでスポーツを楽しむ。仙台スタジアムや宮城スタジアムというところがある。スポーツNPOサミットというところで川淵さんが講演している。10開催地でどう花を開かせるか。宮城スタジアムをどうやって使ってもらうか、実際に活動を始めている矢先。仙台スタジアム、宮城スタジアムは公園。火をつかうことはできない。学校とスタジアムから何かできないか、と考えている。施設をどう使うか、一緒に考えていく、というのが必要。 ベガルタ仙台ホームゲーム観客について:仙台市内から約6割、県外から3%。家族と一緒にきたのが47%。一人でくる6%。
勝田
環境ということで。地域型総合スポーツクラブ。ドイツのスポーツシューレをモデルにしている。ドイツの方は8万7千のクラブがある。国民の1/3がどこかのクラブに入っている。環境づくりで提案したいのは会員数が減っている。部活動に合わなくてクラブを作る人がいる。これを新しいムーブメントととらえるかどうか。社会も学生、生徒をどう受け入れているか。最もスポーツしたいのは学生、生徒。こういった人材をうまく取り込んでやる。自分たちで何かをやるときにはすごいパワーでやる。学生、生徒を地域で取り込んで欲しい。クラブの最も良いところは、縦のつながりを経験するところだ。人と人のつながり。
綾部
学校は地域の人が歩いていけるところ。学校のものではなく、地域のもの。スポーツ健康宣言をした。清水ナショナルトレーニングセンターを作った。清水の子供たちに大きな夢を持たせたい。ドイツのスポーツシューレをモデルして、天然芝、フットサル、プール、ジム、吹き抜けの体育館、レストラン、宿泊施設、会議室など。あなたがたのものである、ということを強く意識させるためにプランした。オープンしたら、70歳以上の人が多く来る。プールを使う。苦しいスポーツではなく、リハビリなどでやってくる。運動を必要とする人が来るという意味でよかった。トルシエ、ワールドカップではロシアがやってきた。19地区スポーツ健康の日を作った。地域のみなさんをバスで引っ張ってくる。その前に、どんな運動をやりたいか、と聞いた。運動をやってもらったものを地域で別途やってもらう。需要が高くなったら行政として考えていきたい。公民館などで運動ができないかどうか。是非、地域でスポーツ健康の日としてやってもらいたい。公園、神社など人が集う場所があったら地域でがんばってください。そして2ヶ月に1回来てくださいといった。健康発信基地、町で核となるような施設があるといいと思う。トップアスリート、国際交流にもつながった。
中島
3つに分けて言いたい。1点目。地域の生活者の目線で再編成する時期ではないか、と思う。自分の環境の問題として組み直して欲しいと思う。施設一つとってもすでに多くの団体が使っているので大変な問題である。が、ニーズによって再編する。学校の部活動がスリム化されている。これを地域のスポーツ少年団をセットにして新たなクラブを作ろう。大胆な発想でやってほしい。行政がリードするのではなく、もう少し違う関係を自分たちでこしらえていく。2点目。ドイツのスポーツシューレをモデルにしてもいいが、自分たちの足下にあるものを使えないかどうか。再スタートのときに、足下の見方を変える。日本人にとってボランティアと気取っている感じがあるが、人が個々に考えればいいのではないか。子供かわいさ、家族かわいさから始めてもいいのではないか。肩肘はらないでやればいいのではないか。3点目。結局最終的なポイントは住んでいる人が決定権をもっているかどうか。自分たちにあったものを造れるかどうか、自分たちが判断すべき。他人頼みにならずゴーサインするかどうか決める。
一力
新しい時代のスポーツと文化について動詞を頂きたい
綾部
「あわせる」異種目のスポーツが集まって、人と人が会うというのが必要。仲間の和を広げてスポーツの話題で興奮するようなことを広げてほしい。
勝田
「冒険する」競技スポーツ。クラマー。スポーツは人を大人にする。ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人に少年の魂をいつまでも抱き続けさせる。勝利とか技術とかは買えない。覚悟のいることである。自分一人ではできないことである。スポーツを文化として語って欲しい。輪がどんどん増えていくか必要。
泉田
「つながる」毎年この時期は選手の解雇や移籍でつらい時期。選手を通じて地域をよくするか。大榎もコーチに就任する。現役を退いてコーチになる。いつまでも地域と同じに活動できる場を与えたい。清水ナショナルトレーニングセンターを清水エスパルスに任したりして、Jリーグとのつながりを大切している。ボランティアは楽しくてやっている。
中島
「いかされる」1:地域の人の目線が届いている部分と届いていない部分がある。お年寄りには目線はいってなかったのではないか。障害者に対してスポーツの目線が届いていたかどうか。愛知県半田市ならわが中心的にやっている。部活動の問題が大きい。両方にとって問題なのだ。中学生に十分な目線が届いていない。我々の目線が届いていないというのは、十分に生きていないのではないか。2:ボランティアをやっている人に直接聞いた事がある。子供たちに生かされているんだ。
質問 蔵王町
なんでもやれるようなスポーツをお願いします。